

季刊にゃーは、2016年12月に創刊し、誌名は新庄の方言で末尾の「~だよね」と同意を意味する「にゃー」。最上に住む人々に、より理解される冊子になることを目指し命名しました。しかし、創刊し間も無く地域の高齢者から「にゃー」ではなく「んねゃー」が本来の使い方だとご指摘を受けました。僕はこの地域で生まれて40年経ちますが、そのことを知らなかったのです。この地域に住んでいても、知らないことがまだまだある。そして取材を進めていくうちに、地域に眠る面白いことは、身近に山ほどあるということ、取材を重ねるたびに“知っているつもりで、本当は知らなかったこと”がいかに多かったかということを実感を日々実感しています。
地域のことを知っているように生き、知らないまま死んでいく。しかし、どうせこの地域で死ぬならば、死ぬ前にいろんな見識を深めたい。地域に生きる一人一人にそれぞれの歴史があり、地域に住むそれぞれの人たちが、これからの本誌の取材テーマと成りうるし、そんな地域の一人一人に焦点を当てる「季刊にゃー」には町が滅びない限り「人」という無限のテーマが存在し続けます。地元の人々に、地元を好きになってほしい。本誌が読んでもらうことで、最上に住む人々の暮らしが少しでも豊かになることを願っています。
季刊にゃー 編集長 吉野敏充
【発行予定日】毎年4月(GW前)、8月(お盆前)、12月(年末前)
【仕様】B5中綴じ冊子 (縦257mm×横182mm)
仕上がり:オールカラー24P 発行部数:5,000部
【設置エリア】
山形県内:新庄市、金山町、真室川町、鮭川村
最上町、舟形町、戸沢村、大蔵村
庄内町、酒田市、鶴岡市、村山市、天童市、寒河江市、山形市、大江町
宮城県内:仙台市、大崎市、栗原市、石巻市
秋田県内:湯沢市、雄勝郡、横手市、にかほ市、由利本荘市
アンテナショップ:東京、名古屋、福岡など


この度、季刊にゃーの総集編を制作、発行するにあたり、多大なるご協力、ご支援いただいたみなさま、ありがとうございました。クラウドファンディングで総集編の制作、クラウドファンディングのネクストゴールにてホームページの制作ならびにネットショップの開設という目標を掲げ、無事目標資金に達することができました。そして総集編の発行と当ホームページが完成したことをこの場におきまして報告させていただきます。
当ホームページにて定期購読の購入、総集編の購入、オリジナルグッズの購入ができるようになり、最新の情報も入手することが可能になりました。
今後とも、季刊にゃーは、地域の方が知らなかったこと、インターネットでは手に入らない情報を深掘り、読んだ方の心持ちが少しでも豊かになりように、そして、未来に残すべき情報を書き記すために、取材に尽力してまいります。今後ともよろしくお願いいたします。
季刊にゃー制作部 一同


【発行予定日】
毎年4月(GW前)、8月(お盆前)、12月中旬(年末前)
【仕様】
サイズ:B5中綴じ冊子 (縦257mm×横182mm)
仕上がり:オールカラー24P
発行部数:5,000部
【配布エリア】
[山形県]
新庄市、金山町、真室川町、鮭川村、最上町、舟形町、戸沢村、大蔵村
大江町、庄内町、酒田市、鶴岡市、村山市、天童市、寒河江市、山形市
[宮城県]
仙台市、大崎市、栗原市、石巻市
[秋田県]
湯沢市、雄勝郡、横手市、にかほ市、由利本荘市
東京、名古屋、福岡の県事務所、アンテナショップ
【読者層】
新庄最上の方、県内でも新庄最上を好きな方
県外にいながらも新庄最上が好きな方
帰省のタイミングで季刊にゃーを手に入れる方
インターネットでは手に入らない情報が好きな方
とにかくローカルが好きな方
【広告掲載料金/制作費別】
◉表4(冊子の裏表紙): 150,000 円
◉表2(表紙の裏面) :120,000 円
◉表 3(裏表紙の裏面) :100,000 円
◉中面 : 80,000 円
◉中面 :1/2P 50,000 円
◉中面 :1/4P 30,000 円
◉中面 :見開き/2P/ 140,000 円


新庄市名物「とりもつラーメン」。その食べ物は、この地に息づいた豊かな食文化から生まれた。
そして遠くの地にまで知られるようになった背景には、時代を経ても変わらない人々の気質と、未来を夢見た人々が作ったまちの歴史を見ることができる。
郷土の味として最上地方で長年親しまれているくぢら餅。 米と砂糖があれば作れるシンプルなその菓子は、稲作が盛んなこの地方にあって独自の文化を生んだ。 農村やまちの暮らしの歴史の端々に、くぢら餅は登場する。 表記は「くぢら」「くじら」、扱うところによって違う。 山に囲まれたこの地域で、なぜ「くじら?」 くぢら餅の起源をさかのぼり、名称の由来を探るとともに、 節句のお供えものとして、またお土産品として地域の菓子店にも色濃い影響を与えたくぢら餅の現代への歩みを紐解いてみた。
戦後の動乱期から自然発生した闇市が時代の変化とともに飲食街に発展したのが、ここあけぼの町。 奇妙な三角地帯の中に40店舗以上が軒を連ねている。 昔からこの場所を知る人たちはこの町を「マーケット」と呼ぶ。この場所で長年、店を構えるスナックのママはあけぼの町の移り変わりを全て見てきた。高度経済成長やバブル期を経験してきた原色を思わせるきらびやかな当時の雰囲気を鮮やかに語ってくれる。しかしそれらは文字や写真で記録されることなく人の記憶の中だけにあり、泡のように消えていく。
歴史の来し方をその目に焼きつけ、 民俗風俗を記録し続ける偉人。 田に水を引き込むように人の流れを生み、 観光の土台を作った偉人。 先祖から受け継ぐ田畑に根を下ろしながら、 自らの手業・知識の全てを次世代に伝え続ける偉人。 最上地方の行く末を占う彼らの人生に迫る。
山々に囲まれたこの土地に観光客を呼び寄せ、潤いをもたらしていた温泉群だが、休暇スタイルの変化や、湯治文化の衰退などにより、どの温泉地も、平成に入ってからの利用客低迷と影で戦っている。 もともと温泉は、その土地の文化の発展と密接に関わっている。名のある歴史人などにゆかりがあったりと、訪れる人の想像を掻き立てる。謎の多い伝説と、現代とを繋げる重要な場所。そこには当然、連綿と続いてきた名もなき人たちの生活がある。古きよき建物や食の楽しみ、湯だけではない温泉の魅力を、土地に根をおろす人々に尋ねてみた。
日本における工業は、戦後の高度経済成長期を支える基盤となり、ものづくり大国の技術開発に高まりをみせた。 そして、その波がまたたく間に全国に広まり、昭和50年代に入ると最上地域にも大規模な工業団地が次々と誕生した。今や数千人規模で最上地域の人たちが工業に関わる仕事に従事し、世界に誇れる高い技術を確立させてきた。 しかし、地域の人たちの生活と密接な関係にある中で、日々革新し続ける技術開発により、その実態はベールに包まれている。“どんなに機械化が進もうが、最後は人の手…。 ” そんな職人たちの声に迫った。
地球。日本。最上。
世界は近くなった、人々は近くなっただろうか。
グローバル化は文字通り地球を覆い、
人も物も情報も全てが行き交う世界に私たちは生きている。
最上においても世界各地からの友人を、客としてではなく同じ地域に住むものとして当たり前に迎え入れる。そんな時代がもう来ている。
それぞれの人生を経て最上に根を下ろした、海を渡ってきた最上人たち。
その人生を辿ってみた。
最上の運び屋たちは、今日も誰かの未来を運ぶ。
古来、多くの名言至言が人の一生を旅になぞらえてきた。 動き、動かし、動かされるのが人の性。 人と人とが交わり、物と物とが行き交う。 その集合を社会と呼ぶならば、私たちの身の回りにこそ、社会はあるのかもしれない。 東京行きのバス、市内のタクシー、深夜の代行。
私たちの社会の一隅を、少し覗いてみよう。
遠い昔から人間は、自然を拝んできた。自然に対し「畏れ」を持ち拝み始めた。古来からの人間の経験が、森も山も川も病気や飢えも怖くしてきた。
自然がちょっとだけ我々を許してくれなければ人間は生きていられない。「恐れ」にもとづいて人間の祈り、信仰が生まれ、いろいろな古代文明の中を見ても、自然を拝んでいる。 現代に至ってもそれは変わることがない。どんな人も心の中に恐怖や不安があり、この最上地方でも「恐れ」そして、それに寄り添い、拝んできた歴史を追った。
とかく閉鎖的で世間体を気にする地域性と自ら言ったり、言われたりする最上のみなさん、こんにちは。普通で常識的なあたりまえの生活、してますか?みんなちがってみんないいとは言うものの、ついつい誰かと比べたくなるのが人情。「普通は~」「あたりまえだ」などと「常識」を持ち出して誰かを責めたくなるのもまた人情。人間は皆裁判官、他人は有罪自分は無罪。「普通」「常識」「あたりまえ」の物差しで誰かを計るその前に、その厳しい目を今号を見て、自分自身にも向けて見ましょう。
新庄最上名物「とりもつラーメン」。その食べ物が一茶庵支店で生まれて40年。
その味は40年の月日の中で最上人のDNAに組み込まれていった。
小さな頃から「とりもつラーメン」を食べて育った者がラーメン屋を開業し、自分なりの「とりもつラーメン」を作り始めた。彼らが作るラーメンは、最上の食の未来へと繋がっていく。
コロナ禍で、世界は変わったという。確かに一面そうだろう。旅行や移動の類は後ろ暗さを持ち人々の関わり方も変わっていくのだと。しかしそれでも生きていくことは変わらない。と言ってみる。
古人たちが数多の思索で旅に例えてきたのも人の生。その本質は変わらない。人と人とが互いを求めて関わりあう事。人の中で生きる事それ自体が人生と言う旅路なら、それすら不要不急と切り捨てることはしたくないものだ。
「旅行の形態」くらいはこれまでだって移ろってきた。変わる形態と変わらない本質。世界がどんなに変わっても、人の生が旅路である限り求められる宿。誰かにとっての大切な宿たち。それは意外と身近にあった。変わらない何かを求めて、少し覗かせてもらおう。
父性を太陽に 母性を月に 人は例えてきた。
昼と夜は決して交わることはなく しかしお互いを必要とする。 分かり合えないまま 堂々巡りに過ぎていく歳月に それでも人は営み それぞれの歴史を紡いで来た。
それぞれの時代を生きた お月様たちの物語。
最上の夜と女たち お月様たちの物語を ちょっと教えてもらおう
今夜も赤提灯が夜道に揺れて
甘美な匂いのケムをはき出す
暖簾ひとひらをくぐる勇気さえあれば
いつでも暖かく迎えてくれるだろう
最上のやきとり屋さん一つ一つの灯りに宿るそれぞれの人生には
やきとりみたいに一本筋が通っている
そんな彼らの今昔をちょっと教えてもらおう
人間は自分の欲しいと思うものを求めて世間を歩きまわり、
そして家庭に帰った時にそれを見出す。ージョージ・ムーア
誰かと共に生きていこうと決めた時、人と人とは家族になる。ドングリを拾っていた大昔から変わらないことの一つだ。人間の子供は他の動物のように1人で生き伸びることはできない。今あなたが生きているとすれば、それは何十万年におよぶ愛の歴史の結実なのだ。
最上の家族は、今も確かに歴史をつないでいる。それぞれの愛の物語を、少しだけ覗かせてもらおう。
朝、希望を持って目覚め顔を洗い、珈琲を飲み、ご飯を作る。水筒に飲み物を入れ出かける。昼は懸命に働き、学び、ラーメンや蕎麦を食べ仕事や学校から帰り、ご飯を食べ、お風呂に入る。お酒を少し飲み、感謝とともに眠る。そういえば、日々の暮らしのほとんどに水がある。この暮らしを支える水はどこから来ているのか。蛇口の先の旅へ季刊にゃーがご案内します。
人がそこへ住み、生活が始まり、商いが生まれてきた。
地域の大小はあれど、ここへ住み、
生活を営み、生きているすべての人がいる。
そのすべての人へ等しく開かれ、
等しく手から手へと手渡されてきた商いの歴史がある。
「いらっしゃいませ」
お店に訪れる人に対し、等しくこの言葉をかける
最上の小(商)店の手渡しの歴史を辿らせてもらった。
13歳になったら、魔女は修行のためよその町に移り住み、独り立ちするというしきたりがあるらしい。
18歳。片道切符を握りしめ、最上を出ていったいつかの若者たちは夢を見つけ、町を見つけ、営みをそこで見つけた。
その過程の中、落ち込んだ事もあるだろうが顔を上げた彼の視線の向かう先、振り返って初めて見えた故郷・最上の輪郭があった。
浜松、茅ヶ崎、東京。それぞれが捉えた最上と今、彼らは繋がっている。
遠く、最上から離れた場所色々ありながらも元気に暮らしている3者の話を辿らせてもらった。
新庄市宮内を中心に、郡内には人体の各部位を祀る
「七所明神」が7ヶ所に点在している。
宮内は頭、他に鳥越(左手)、角沢(右手)、升形(胴)、本合海(男根)、松坂(右足)、京塚(左足)。
それぞれに応じたご利益があり、地域内外から信仰を集めている。
社内には、帽子や草履など、祀られた部位にまつわる供物が奉納され、人々の祈りの痕跡が残る。
合格祈願なら宮内、子宝は本合海、安産は升形、傷病は対応する各所へ。
7ヶ所すべて巡れば心願成就ともいわれ、今も参拝者は絶えない。
全国でも類例のないこの信仰を守り伝えてきたこの地の人々。
七所明神にまつわる過去と現在、そしてその先を、少し覗いてみよう。
最上の景色は、景観や名物だけでつくられるものではない。
ここに生きる人の暮らし方や、手の動き、
季節に合わせて過ごす日々の積み重ねに、ゆっくりと刻まれていく。
流れる水のように人との巡り合いで生きる人がいる。
町を自由に歩き回り、見た景色を描きつづける人がいる。
農業や狩猟、食の営みを、家族で静かに受け継ぐ人がいる。
それぞれのあり方に 「最上という風景」が宿る。
誰かに見せるために整えた姿ではなく、生活の中で自然に形づくられた景色だ。
人の記憶に残る日々の営みが、この地の風景になる。
「謎の店」。ある人にとってよくわからないものは、
しばしば“謎”と片付けられてしまう。
わからないんだから無いのと同じ、その人にとってはやはり
「この街には何も無い」のであろう。
一方でこの世界の面白さはいつも、りんごが当たり前に落ちることとか、
風呂の水が当たり前に溢れることの先に見出されてきた。
この地域に今当たり前に存在する「謎の店」を通して、
何も無いのその先をちょっと覗かせてもらおう。
最上の甘いものといえば、きっと米の甘みだ。厳しい冬と飢饉を乗り越えるために作られてきた郷土の甘味は、米から生まれ、
美味しいからというより、生きのびるために食べられてきた。
硬い餅や葉っぱに包んだ米の塊に、どこか「君よ死ぬな」という願いが込められている。
それらは「スイーツ」と呼ばれながらも、米の向こう側にある生存の記憶を今に残す。
豪華でも特別でもないけれど、最上の甘みは米の甘み。その味の続きは、私たちがこれから書いていく。
「高き屋にのぼりて見れば煙立つ民のかまどはにぎわひにけり」
仁徳天皇『新古今和歌集』巻七・賀歌 七〇七
台所の湯気は、その日を生きる火のしるし。
小さな食卓の積み重ねが、町の豊かさになる。
米をとぎ、味噌をとき、火が屋根の上へとのぼっていく。
かつて国の繁栄を示した煙は、今も誰かの暮らしを照らしている。
晩ごはんの匂いがする町は、今日を生きる人がいる町だ。
良い写真を撮るためには、どこに立つのかを知らなければならない。
カメラを持つ行為とは、どこまでも被写体に寄り添って行くことそのものだ。
この街に暮らす 3 人のフォトグラファー、この街の人の生にそれぞれの立ち位置でそれぞれの寄り添い方をしてきた。
ファインダーを覗く彼らをちょっと覗き返してみよう。
複数の視点が調和する時、平面が立体になるように人は人間になり、人々が社会になるのだから。
私たちの脳は30万年前からほとんど進化していない。原始人の脳みそのまま、この複雑な現代に放り出された私たちは、理解できない物事を、神様や精霊など“異界の仕業”として納得してきた歴史の方が長い。
現代でも、人はすぐ極論に逃げたり、誰かのせいにしたり、理解できないものを無駄と決めつけながら、知的エネルギーを節約して生きようとする。それは今もなお、生存を最優先にする本能的な判断なのかもしれない。
原始人にとっての空や水や闇のように、現代にも“立ち入り禁止”と書かれた異界の入り口が無数にある。人間が「知らない世界を知ろう」とする存在であるなら、まずは身近なその向こう側を、きちんと見つめてみよう。


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